さてお昼ご飯を食べた後はバターリャへ移動します。
バターリャ修道院 Mosteiro de Batalha を見学です。
正式名は「勝利の聖母マリア修道院」。ブルゴーニュ朝のフェルナンド1世が亡くなると、王位継承を狙う隣国カスティーリャ王フアン1世は3万もの大軍を率いてポルトガルに攻め込んだ。独立を守るためアヴィス朝の始祖となったジョアン1世は戦勝を聖母マリアに祈願し奇跡的勝利を得た。
アルコバサの修道院を手本として1388年に始まった建設はアルフォンソ・ドミンゲスをはじめとする何人かの建築家により16世紀初頭まで引き継がれた。壮大で豪華な修道院はポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築のひとつで、1985年に政界遺産に登録された。
ちなみにマヌエル様式とはポルトガルを代表する16世紀初めの建築様式でゴシック建築を基調とする様式で大航海時代の繁栄を思わせる豪華な装飾が特徴で貝殻や鎖、ロープ、天体儀などのデザインが多く用いられる。ふーん。なるほどね。
※ ガイドブックより
1386年に建築が始まり1515年に完成。初代建築家アフォンソ・ドミンゲスによって造られたゴシック様式の簡素な回路に、約100年後にリスボンのジェロニモス修道院を手掛けたボイタックがマヌエル様式の装飾を施した。
参事会室 Sala de Capitulo
交差リブヴォールトによって支えられた部屋には柱が1本もなく、建築当時は天井が落ちるのではと騒がれた。設計したアルフォンソ・ドミンゲスは、安全性を証明するため3日3晩この部屋に座り続けたという。現在は、第1次世界大戦とアフリカの植民地争いで命を落とした無名戦士の墓が置かれている。奥にあるキリストの苦難の場所を現した16世紀のステンドクラスが美しい。
未完の礼拝堂 Capelas Imperfeitas
アフォンソ5世の回路から一度外に出て、礼拝堂の北側にある入口より入る。ジョアン1世の息子ドゥアルテ1世により建築が始まり、没後はマヌエル1世に引き継がれ100年ほど工事が続けられたがついに未完で終わる。その理由は、設計上のミスという説と、ジェロニモス修道院建設のため建築家がリスボンに行ってしまったという説があるが確かなことは分かっていない。
修道院の南側に位置する教会は、奥行き約80m、高さ約32m。ポルトガルでも1,2の規模を誇る。内部は非常に簡素だが、内陣奥の聖母マリアとキリストの生涯を描いたステンドグラスが彩りを与えている。
こうして写真を現像してみると素敵なステンドグラスにうっとり。改めて素敵な場所に行ったんだなぁという気持ちでいっぱいです。そして、調べるのも楽しい!!
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